闘病記|新型コロナに感染 医療を受けられない!入院できない!地獄の自宅療養7日間

こんにちは、がっちょ(gaccho_b)です。

※この記事は筆者が2021年8月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染した体験談に基づくものです。日々状況が変わっていますし、時期や個人によって症状が大きく異なるため、最新情報を確認してください。

この度、新型コロナウイルスに感染し、発症、入院、退院まで、人生でもっともつらい19日間を過ごしたため闘病記を書きます。なおこの期間は発熱~退院までです。実際は退院後も後遺症はのこり、体力も落ちているので社会復帰までは約1ヶ月以上かかりました。

いずれくるであろう第6波。そしてwithコロナの時代になっても、この記録が一つの事例として役に立つことを願います。

はじめに

私は30代前半、基礎疾患なし、健康診断はオールA、風邪もめったにひかず、健康的な生活を心がけています。さらに外出を控え、リモートワーク、手洗いうがい、消毒、マスク、換気…一般家庭の基本的な対策は行っていました。それでも経路不明で感染、発熱。

コロナは突然やってきました

え?まさか?まさに青天の霹靂。外出禁止、経験したことのない高熱、人生初入院、退院後のリハビリ、仕事復帰…なにもかもがどうしていかわからないレベルで襲いかかりました。

コロナの感染者は日本人口比1%ちょっと。100人に1人しか経験していません。

これが多いのか少ないのかわかりませんが、軽症、無症状も含めるとまだまだ理解されていないと感じます。まわりの人の反応は、こんなきつい病気だとは…という驚き。ニュースを見て知っている、と、身近な人が苦しんで実体験に近づいたのとは、想像する範囲が違うようでした。

新型コロナウイルス感染発覚まで

ここからは時系列で起こったできごと、症状の変化を書き留めていきます。スタートは濃厚接触者の定義にあわせて2日前からにします。

8月17日 コロナ発症2日前

この日は午後休みをとっていたので、午前中のみのリモートワーク。午後は所用で徒歩で外出、マスク越しに人と会話はあったものの密ではない状況。

この日よりまえも大きな体調不良はなく、強いて言えば少し喉の調子が悪い時がありました。私は扁桃腺が人より大きいらしく、そもそも子供の頃からよく喉の調子は崩しやすい体質です。もしかするとコロナの前兆だったのかもしれませんが、発症まで数日空いているので真相は不明です。

8月18日 コロナ発症前日

運悪く発熱前日が出社しての業務日。しかもこの日に限ってグループメンバーの出社もかぶり、普段よりも対面で会話する人が多くなりました。もちろんマスク着用で距離をとっていたため社内での感染拡大はなし。

濃厚接触者の定義には当てはまらないらしいですが、会社からの好意で私以外のメンバーもPCR検査を会社負担で実施し陰性を確認。私が利用した会議室は一定期間封鎖してもらえました。

結果的に他の人へ迷惑をかけなかっただけでも、精神的な追い打ちは避けられました。

8月19日 コロナ発症初日

この日は再び自宅でリモートワーク。朝からどうも体の中がザワザワします。あーよくないな、という印象。朝からミーティング続きで話をしていたので気は紛れていました。そして午後の勤務を初めてから、明らかに様子がおかしいと確信します。14時を過ぎ2本目のミーティングが終わった瞬間ギブアップ。フレックスで退勤。

万が一にもコロナだったらまずいと思い、症状の軽いうちにと病院を探すも木曜日のため町医者はどこも休診日。夜には38度を超えしんどくなってきましたが、まだロキソニンを飲めば熱は落ち着いていたので、やり過ごせました。

【ポイント】熱が出てから病院を探しては遅い!事前に発熱外来の受付病院、PCR検査できる病院を探しておくこと

発熱した段階でコロナ感染の疑いになり、タクシーや電車などの公共交通機関にのれなくなります。つまり、基本的には徒歩、自転車、または自家用車で病院に行かなければいけません。聞いた話ではコロナ用に対策したタクシーサービスもあるらしいです。

8月20日 コロナ発症2日目

朝から近隣の内科へ電話。正直この段階で詰みました。5件ぐらいかけても、発熱患者お断り、受け入れがあってもPCR検査は不可というところが多いのです。この日はまだロキソニンで解熱でき時間稼ぎができたので隣駅まで範囲を広げて探すことに、1件見つかるもののPCR検査は2日後になるとのこと。これほどまでに逼迫しているのかと驚きました。

最終的に、家の近くの小さなクリニックが発熱外来とPCR検査の両方に対応していることを見つけ、また翌日の午前中に検査ができるとのことで、予約。この日も38度を超えているので、そこそこしんどく、早く検査してただの風邪と言われたい一心でした。

かなりしんどいものの、食欲はまだあり、今のうちに食べておかねば!としっかり食事をとりました。このあたりが最後の味覚になります。

8月21日 コロナ発症3日目午前

朝から身支度をすませ予約をしていたクリニックへ。院内へ入っては行けないと聞いていたので、開けっ放しになっている玄関の外から呼びかけると、防護服を着た看護師さんがでてきます。

発熱患者は別の入口、別室になるとのことでついていきます。熱を計り、一通りの状況を説明、唾液で行うPCR検査でした。鼻に棒をつっこまれることも覚悟していたので、ちょっと安心。

唾液の採取後、医師とはLINEで診察があるとのことで、クリニックのLINEアカウントを登録させられます。LINE使えないお年寄りとか…とは言ってられない時代ですね。

暫く待つと医師からLINEに着信が入りビデオ通話をします。対面に比べて極めて情報量が少ないでしょうから、臨時措置という感じでした。電波が悪かったためか遅延が大きくて、会話もしにくく、とにかく発熱がありつらいことを伝えると、解熱剤のカロナールや咳や痰をやわらげる薬も一緒に処方されました。薬局ももちろん中には入れません、外での受け渡しです。

ちなみにコロナと診断される前ですので、診察料金も薬代も払います。コロナと診断された後は公費で支払われるため、請求はありません。

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「16:00迄」。まるで合否発表かなにかのような緊張感をもって自宅に帰ります。

これが最後の外出かもなぁ、当分でられないかもなぁ、とうっすら思いつつも、ただの風邪です。と言われることを期待してしまっていました。

8月21日 コロナ発症3日目夕方

帰宅して夕方に電話。

「結果が出ました、陽性です。これから外には出ないで保健所からの連絡を待ってください。」

まさかとも思っていましたが、やっぱりという印象でもありました。

すぐに会社へ連絡。直属の上長とその上の部長と3人のチャットが作られ、土日夜間関係なく毎日病状を共有してほしいと言われました。

次に友人たちへ連絡。私は大学の同期のグループラインが最も人数いるので、コロナになった旨を投下。住んでいる大阪近くにいるメンバーへは、自宅から出れないため買い物など助けてもらうかもしれないと伝えました。

【ポイント】一人暮らしの場合、とにかく周りの人へ自分がコロナにかかったことは伝えておくこと。家族だけでなく、いざというときにすぐ動いける人を一人でも増やしておきましょう。

迷惑をかけるかも、といえる状況じゃなくなるかもしれません。ひどくなると数時間が命取りになります。通販も早くて翌日、普段からネットスーパーであっても、高熱の中スマホを操作し注文をすることは非常につらいです。こういう時こそ頼りましょう。あとでお返しをすればいいんです。

このときはまだ自分が入院するとも思わず、友人たちに「軽症でも5日目ぐらいまでがきついらしいから、気分転換に話し相手になってくれー」と伝えていました。

また、この日から味と匂いがなくなります。(この後、味覚の苦しみは2ヶ月以上つづきます)

常温で缶入りのスープを飲みましたが、無(む)。とろっとした液体としかわかりません。味覚がなくなることはニュースで知っていたので、やっぱり自分はコロナなんだと実感した瞬間でした。

このときは翌日ぐらいには保健所から連絡があって、聞いていたように1日一回病状を伝えて、どうすればいいか相談できるだろう、数日で熱もおさまるだろうし頑張ろう、ぐらいに思っていました。

発熱して4日目。インフルエンザでも3日間ぐらいが山ですが、コロナはまだここで入り口。これからが本格的な地獄の始まりです。

自宅療養というサバイバル

8月21日 コロナ発症3日目 夜

ここから転げ落ちるように一気に悪化します。

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万一倒れたときのためにドアの鍵を開けておきました。防犯上よくない、などと言ってられません。

LINEで連絡しようにも打つことも困難になり始め、正しい変換ができなくなってきます。朦朧としてずっと呼吸が浅い状態が続き、手足がしびれ始めます。処方されたカロナールを飲んでも2時間もすれば39度代にもどってしまいます。辛くても時間をあけないと次の薬が飲めず耐え続けていました。

3日間で体調が悪くても食べられそうなものは食べつくしてしまい、食欲もないため固形物がとれません。喉は焼けるように食道まで痛み、水を飲むだけでも激痛が走ります。のど飴もトローチのVICSも全く効果なし。

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ここで友人に買い物ヘルプをだしました。このとき21時。翌日お願いとは言えないほど衰弱していくのを感じ遠慮してられない状況でした。後々になって、この判断は大正解。このときに持ってきてくれたポカリや経口補水液、ゼリー飲料はかなり助かりました。

そして1時間ごとにみるみる悪化していきます。

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このLINEをしてるときはすでに過呼吸の一歩手前、トイレからベッドまで戻れなくなっていました。私自身は自分の状況などわけもわからないので、しんどいからなんとしても体を冷やそうと風呂場へ行き、足に水をかけるところで、完全に動けなくなりました。

手足が意思に反して持ち上がらない、動かない、ジンジンしびれる。浴室の床にへたり込み、蛇口はひらきっぱなし。かろうじて必死に指先を動かしスマホで「いまふろでうごけない」とLINEを送っていました。

まず友人が教えてくれたのは、大阪市 新型コロナ受診相談センター。息も絶え絶えになりながら状況を伝えます。その返答が驚愕。

「夜間の救急案内しますから、タクシー呼ぶとか自力でいけますか?」という担当者。

コロナの相談を受ける担当者が、コロナと診断されたと伝えているにも関わらず、この返答。外に出れないこと、タクシーに乗れないこと、知らないのでしょうか。思わず「コロナですよ!?無理でしょ!!」と言い返すと、「あぁ、それではもう119してください」と。スタッフのリテラシが低すぎました。

頼っても無駄。救急を呼ぶ決心ができました。

自分なんかが呼んでいいのか、それほど悪い状態なのか、重く考えすぎではないかという不安がありましたが、どうしようもないときの救急ですから、呼びましょう。もちろん命に関わる方が利用できるよう簡単に使ってはいけませんが、頑張ってもだれも助けてくれません。また後々の考察ですが、救急の方に状態を知ってもらっておくと履歴ができるので、入院の方向へ後押ししてもらえたのではないかとも思いました(個人の推測です)。

連絡をしたあと気を失いそうだったので、LINEのグループ通話を押し、なんでもいいから話してて…と伝えてぐったりしていました。

5分ほどで救急隊が到着。インターホンがなります。動けない私は、風呂場から力の限り、開いてます!と声をあげます。しかし、一向に入ってきません。しばらくするとノックのあとドアを開けた救急隊の方が「玄関までこれる?」と。

防護服を着ていても、救急隊であっても、このときは室内まで入ってきてくれないのです。必死にハイハイの状態で四つん這いになってゆっくりと玄関まで移動し倒れ込んだまま、体温、血圧、酸素飽和度を確認されます。一人暮らしか、家族はどこに住んでいるかなども聞かれました。結局、酸素飽和度が95を切らないかぎり、なにも処置できない、あなたは過呼吸なだけなので、がんばってね!と言われて、帰っていきました。

ぜぇぜぇいいながらも酸素が足りていたことの安心と、呼吸が楽になったわけではないのでここからどうなってしまうかわからない恐怖。これらに再び向き合うことになります。

【ポイント】私のような年齢、基礎疾患がない条件では、酸素飽和度が95を切らないと、原則なにも処置されない

このときはまだ保健所から連絡があれば事態が変わるという希望がありました。自宅にいても回復するとは思えないけど、時間をかせぐだけ頑張らなければ、と思っていましたが、その期待は何度も消えていくのです。

8月22日 コロナ発症4日目

早朝、暑いのか寒いのかさえわからず、エアコンをつけても震えてしまい、室温がどういう状態なのか、そんなことも考えられなくなりました。エアコンを消したタイミングで寝てしまい、起きたときには汗だく、さーっと血の気が引きました。

やばい。それだけはわかりました。

熱中症のような状態でめまいがするなか、そのまま倒れ込むようにキッチンのシンクにしがみつき、蛇口の水を手ですくって口に運びました。もはや室内サバイバル。8月、真夏の自宅です。一歩間違えたら恐ろしいことになってました。

翌日午前、病院からLINEで連絡があったので、昨日の状況を伝えました。

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熱が下がらない旨を伝えるとLINE上で薬の飲み方の指導がありました。病院でもLINE通話ごしですから患者の様子から読み取れる情報も少なく、症状も急激に変化するため、その場その場で切り替えていくしかないのでしょう。

体重と現在の薬の量から、さらに多く飲んでもよいと許可をもらえましたが、結果焼け石に水。一時期39度を下回れるようになるものの、しんどさは多少増しになった程度。全く快方に向かう気配はなく自然に治癒することはない予感はしていたので、いかに治療してもらえるまでの時間を耐え抜くか、それだけでした。

またこの日は日曜日。月曜に連絡するようクリニックから指示がありましたが、医療機関がとまっているというのは、とても不安です。ただ月曜になればカロナール(解熱薬)も追加処方し自宅まで届けてくれるとのこと。いつまで続くのかわからない恐怖と、連絡のない保健所からの電話を期待しつつ必死に一日を耐えて過ごしました。

8月23日 コロナ発症5日目

朝からクリニックとLINE通話で診察。パルスオキシメーターも持っていなかったことと、あまりにもしんどそうだったのか、酸素吸入ができる機械を手配してくれました。

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専門の業者から電話があり、玄関ドアの前に置いていくと伝えられます。その後部屋にあげるのが一苦労。この日で発熱5日目。全く力が入らず5センチ程度の段差があがらないのです。

このとき特異な息苦しさは感じていなかったものの、また一つ安心できる材料ができました。酸素飽和度が見れることで大丈夫だ…と自分を安心させていました。

しかし、ここからTwitterの実況もできなくなります。

正直あまりにしんどくて記憶も薄く、友人へのLINEをもとに書いていますが、それも途絶えていました。

一向におさまらない割れそうな頭の激痛。お酒で失敗したときの猛烈な痛みの倍ぐらいの痛みです。髪をむしりたくなるほど数多の中を叩かれるようなズキズキ感が襲います。全身が痛み、吐き気により食事どころではなく、ポカリスエットとゼリー飲料でカロリーを少しでも補給できるかどうか。栄養のあるものがほしいですが、そもそも口にできるものが家にこれしかないのです。

こんな状態でも解熱薬だけは必死に飲みました。すると今度は胃の上部が締め付けるような激痛を発し始めます。薬に負けているのでしょう。歯を食いしばって耐えました。

ここからの2日が人生で過酷な時間です。

8月24日コロナ 発症6日目 昼

あまりの辛さに朝クリニックへへ相談していました。

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LINEを見ると昼過ぎに救急車を呼んでいました。

救急隊は家の中にはいってこない可能性があるので、ハイハイのようにして玄関から119。8月です。蒸し風呂のようですが、ここで電話をかけます。スマホは持てないのでスピーカーに。「事故ですかー救急ですかー」の問いかけ。「きゅ・・・う・・・きゅ・・うで・・・す」と息切れしながら伝えます。そして自分の住所すらなかなか正しく言えません。なんなら何を言えばいいのかもよくわかりません。もう声を出して話すことすらままならないのです。

え?え?なんども聞きかえされたのは覚えています。同じ番号からかけてるんだから、名前とか住所とか聞かないでくれと思っていました。

到着した救急隊が言った40.3度という体温だけ頭にのこっています。体温40度超え人生で初めての経験です。もう約一週間ちかく発熱して丸3日はまともに食事をしていないので、常に眠りそうな感覚、起きてるんだけど意識が飛びそうになります。

救急隊は「ごめんなぁ」というだけ。「今はどうてもあげられへんねん、保健所が管理してるから、僕らも指示がないと病院に連れていけないんやわ」と。

自分にすら保健所から連絡がないのに、救急隊は保健所の連絡がないと病院にいけない。救急隊から保健所への報告の電話はできるのに、自分には連絡をしてくれない。

若いから、酸素があるから、という理由でこれほど苦しんでいても無条件に捨てられるのかと。もっと苦しい人がいるかもしれない。自分はまだ我慢しないといけない、まだ耐えられるか?いや、もう限界。誰にも気づかれずエアコンもつけず気を失ったら別の原因で死ぬ。本当に思いました。一人暮らしの恐怖です。

「入院できなくてもいいので医者に見てもらえないですか」「もう何も食べれないんです、点滴だけでもしてもらえませんか」「保健所から連絡がないのはいつまでまてばいいんですか」

救急隊にすがりつくように言いました。ここで言わないと、この人達を返したらもう次は呼ぶことすらできなくなるかもしれない。

再度救急隊が連絡をしてくれたらしく、「17時に往診の先生に来てもらうようにするから、それまで頑張ってな」と。

この時14時。3時間も耐えられるだろうか。そもそも指定した時間に来るのだろうか。保健所みたいに来るといって、明日まで放置されるのではないだろうか。期待はできないまま苦しさに耐える延長戦が決まりました。

このあと救急隊は、玄関に置かれたポカリの箱をリビングに置いてくれ、冷蔵庫にはいっていたボトルからコップに移し、床に座る私の横におき、帰っていきました。

8月24日コロナ 発症6日目 夜

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17時になれど、やはり連絡もなく医者も来ません。やっぱり見捨てられたか。そう思いました。

19時すぎ、電話がなります。看護師と名乗る人からでした。状態を聞かれなんとか会話をし、21時には医師がくるとのこと。またも延長戦です。

そして実際に医師が来たのは21時半ごろだったと思います。防護服をきた若そうな男性でした。こんな遅くに過酷な部屋にきてもらって申し訳ない思いです。部屋の電気もつけられず、なんとかスイッチを伝え一部だけつけてもらいました。薄暗い部屋の中、ヒアリングされます。

状況から入院できないか、保健所に連絡を入れてみるとのこと。何度目でしょう、でも医師がいうなら動いてくれるかも。一途ののぞみです。

一通り状況を聞くと、その場で吐き気どめの薬を渡してくれました。胸に聴診器をあて、まだおかしな音はしていないから、肺炎はひどくないでしょうという判断でした(しかし入院後、これも違うことがわかります)。これだけでも、診てもらえたという安心感がありました。

また、胃が痛むのを抑える胃薬は持ち合わせがないため、今晩中に別途薬局から配達させるとのこと。その後、日付を回ったことろ薬局から電話があり、今から薬を持っていきますと。玄関ドアにかけるのでとってくださいと言われました。

今思うと、24時間稼働で対応にあたってくれていたんだと思います。凄まじい状況です。

8月25日 コロナ発症7日目

早朝かなり早い時間だったと思います。7時とか。保健所から初めての連絡があり、入院先を探しますとのことでした。発症からの経緯と、これが初めての電話だったと伝えると、少し驚かれました。

その後、担当者が代わり何度か連絡がはいります。別の担当から重複することを聞かれることもあり「お伝えしますが、前の方にも同じこと伝えましたよ?」と聞くと「部署がちがうんです、すみません」と。保健所の体制はわかりませんが、情報が錯綜していることは間違いないでしょう。

この時、昨晩もらった吐き気どめと胃薬のおかげで少し状態は和らぎ、もし移動するには今しかないほどのタイミングでした。

入院先が決定し保健所から連絡がありました。そこで一般的な入院準備を教わります。朦朧とするなか必死にペンを握りメモをとりました。

私にとって初めての入院です。全く状況がわかりません。経験をもとに必要なものは別途まとめましたので、是非こちらの記事を参考にしてください。

実体験|コロナ中等症 自宅療養、入院生活で本当に役に立ったもの15選

その後、昼頃に入院先の病院から連絡が来ます。入院準備は保健所の説明と微妙に違いました。ここは病院ごとの指示がありますよね。さらにコロナ患者移送用のタクシーみたいなものを手配するので、何時に家をでれるか聞かれました。準備ができる時間は空けてお願いしましょう。

解熱薬が聞いている数十分の間で体力を振り絞って荷物をつくりました。これさえ乗り越えれば、誰かに診てもらえる。気力で動いていました。

移送中のタクシーの中 運転席側が隔離されています

闘病記|新型コロナに感染 医療を受けられない!入院できない!地獄の自宅療養7日間

16時ごろだったと思います。着替えなどをまとめ自宅を出ます。外の世界に出たのは1週間ぶり。このあとまた外に出れなくなる、家にいつ帰れるのかもわからない、覚悟を決めて自宅の扉を閉めました。

当然歩くこともままならず、時間をかけ一歩一歩進みました。それらしき車がいなかったので、表にでてしばらく待つことに。たっているのもままならず、2分、3分ですらも自分の残された体力との戦いでした。

黒い小さめのワゴン車が到着し乗り込みます。車内は簡易ですが写真のように運転席と隔離されていました。アメリカのタクシーのよう。見慣れた街を走りだします。久しぶりに見た普段の様子が、海外旅行から帰ってきたときのようにとても新鮮に映りました。

病院に到着してからの様子は次の記事で。

リアルなまとめ

発症から自宅療養期間の状況についてまとめました。ニュースで報道されていた通りだったでしょうか。

医療崩壊を体験し、治療されないまま弱っていく自分は、これまで体験したことのない恐怖でした。事故や大病などもっと過酷な状況を経験した人にとっては、これぐらい。と思われるかもしれません。しかし、だれもどうなるかわからない病気で、自分がどんな常態かもわからない状況は本当に怖かったです。つらさ比べではなく、こんな状況が本当にあったんだ、という事実を残すために記事にしました。

次回は入院生活についてまとめます。

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