闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

こんにちは、がっちょ(gaccho_b)です!

※この記事は筆者が2021年8月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染した体験談に基づくものです。日々状況が変わっていますし、時期や個人によって症状が大きく異なるため、最新情報を確認してください。

この度、新型コロナウイルスに感染し、発症、入院、退院まで、人生でもっともつらい19日間を過ごしたため闘病記を書きます。なおこの期間は発熱~退院までです。実際は退院後も後遺症はのこり、体力も落ちているので社会復帰までは約1ヶ月以上かかりました。

いずれくるであろう第6波。そしてwithコロナの時代になっても、この記録が一つの事例として役に立つことを願います。

はじめに

前回の記事で発症、感染発覚、誰にも助けてもらえない壮絶な自宅待機の様子をお届けしました。今回はその続きです。コロナで入院するとどうなるのか、隔離もされます。治療は?症状は?私が体験したリアルな様子をお届けします。

新型コロナウイルス入院生活 前編

8月25日 入院対応

コロナ患者専用の移送タクシーのようなもので病院まで向かいます。体力はすでに限界。30分ほどでしたが座っているのもやっとでした。

病院に到着すると、もちろん表玄関から入れるわけではありません。専用の裏口の前に車がつけられます。よろよろと持参した荷物を持ち車を降りると、防護服に身を包んだ医師と看護師が待ち構えていました。荷物は袋に入れられ密閉、私はすぐに担架(?)に載せられ、CT撮影へ直行しました。

撮影後は顔の上に半球状のドームのような覆いをされ、少しでも一般人と接触する空間を避けるように移動します。エレベータも専用、導線から隔離されていました。

天井を眺めつつ移動し、ビニールカーテンの中に入ります。

「ここがコロナ病棟か・・・」。まさにニュースで見ていたレッドゾーンです。

病室のベッドに移り自分の名前が書かれたリストバンドをつけられます。「これで助かった、死なない。」という安心感と、「いつここを出られるんだろう」という不安が入り混じった手錠のようなバンド。複雑な気持ちで人生初の入院生活のスタートです。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

バタバタと入院手続や治療方針の説明がされます。正直頭がよくまわってないときもありましたが、患者に説明をした上で同意を得ないといけないものです。もう自分の体は預ける、だから何でも名前書くから…と思っていました。

静脈注射にて採血をされます。これが言われたとおり、まぁまぁ痛い。私は注射が大大大嫌いなのですが、この日から毎日採血になりました。

この日だけではありませんが、防護服に手袋、顔にはゴーグルを付けた看護師が注射を外さずに打ってくれるのは本当にすごい技術だなぁと思います。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

なんとか服を入院用に替え、胸に心電図のシールと指には酸素飽和度を測定するテープを付けます。

そこから伸びたケーブルは手のひら大の送信機につながっており、24時間無線で送信されます。寝ているときも、トイレのときも、このケーブルと送信機はつけっぱなしです。これがとにかく邪魔。仕方ありません。

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丸3日以上ほとんど食事がとれていないので、点滴がはじまりました。これで一連の入院最初の対応が終わり。ほっとしたときの写真がこれでした。

数時間後、担当医が話に来てくれました。CTの結果を見てもしっかり肺炎になっているとのこと。「影が真っ白く全体にでてるし、全く軽くないよ、中等症ですね。これだけ炎症が起こってたら本当にしんどかったでしょう」

医師は続けて「しっかり息吸ってみて、多分吸えませんよ」と。深呼吸しようとすると、途中で肺が広がらないのです。半分も息が吸えない。咳き込んでしまいます。

前日の訪問してくれた意思は胸の音を聞いて、そんな肺炎は悪い状態ではないとの見解だったために愕然としました。一方でそりゃこれだけ熱でるよね、と原因がわかった安心感もありました。

8月25日 入院初日 夜

入院したとて、しんどくなくなるわけではありませんが、点滴のおかげで少し楽になりました。食事はそうめんが選べましたが、全く食べる気になれず、一緒にだされたゼリー飲料だけ。それも味覚がコロナでやられているせいで変な味がします。ゼリー飲料も2つ3つとくれるわけでもないので、栄養が足りず力がでないまま耐えていました。

8月26日 入院2日目

この日からルーティーンが始まります。22時に消灯、7時に採血です。心電図などの送信機のせいで寝返りが打てず、またしんどさから2、3時間おきに目が覚めていました。

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食事は、とりあえずお粥がでましたが、味がおかしい。甘いはずのお米の味が苦くて気持ち悪くて食べれない。食欲もなく吐き気はつづいていたので、ここでも飲めたものはゼリー飲料だけ。

5時ぐらいに目がさえてしまって、何もできず、ただ時間がすぎるのを待つのみ。辛い時間でした。この日も朝から点滴の連続です。薬と合わせて6パック。夕方までずーっと点滴。

そして夜、少し調子がよくなり薬で吐き気も収まってきたので、夕食のそうめんに挑戦。

一口ゆっくり食べると、喉を通りました。噛みしめる感触も数日ぶり、出汁の味なんてなにもわからないけど、自分で食事が取れたことは、大げさではなく感動。すこしうるっときて、ひとりでものすごく喜びました。

本当にこのときの気持ちは忘れません。写真のようにそのときの風景が思い出されるほど。ここでやっと少し回復してきた、生き延びた!峠は超えた!という実感がわきました。

8月27日 入院3日目

毎朝の採血はなかなか慣れず、痛みでスタートする一日は憂鬱です。点滴による投薬の効果は高く、どんどん楽になってきます。一度40度を経験していると、37度代は平熱のようでした。

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この日から、主食をうどんにしてもらい、ゼリーではなく、通常のおかずを出してもらうようにしました。顎や喉が疲れてしまい完食はできませんが、どんどん食べられるようになってきました。

また熱が下がったのでシャワーを浴びることができました。人数があまり多くないせいか、極端な時間制限もなく、ゆっくり入浴ができたことも、一日のなかで大きな気分転換になりました。これが本当に気持ちよくて、自宅にいたときも汗を大量に書いているので、熱が38度ぐらいになったときに、猛ダッシュでシャワーを浴びてとりあえず着替えるということを1度だけ、あとは入院直前に1回。

なのでゆっくり入浴ができたのは10日ぶりぐらいです。本当に気持ちよかった。

口からものを食べる、お風呂に入る、何気ない当たり前だったことが一つひとつできることに喜びを感じていました。

コロナ病棟の様子

ここで院内の様子を紹介しましょう。あくまで私が入院した病院のケースです。また写真はすべてぼかしを入れていますのでイメージと思ってください。

病棟

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ワンフロアすべて、コロナ専用として隔離されていました。

4人部屋にはいりましたが、先にいたのはおじいちゃんひとり。他の部屋のサイズは4人もしくは6人部屋で、その中で入院しているのは1人、もしくは2人の状態でした。思ったよりベッドは空いていました。

入院後半、病状が落ち着いてくると、ビニールカーテンから最も遠い部屋に変わりました。どうも手前の部屋は入院直後の人や介助が必要など、看護師が出入りしやすい人を優先しているとのことでした。

また部屋以外で過ごすところがありません。これが割と苦痛。通常の入院生活よりも、当たり前ですがかなり制限されます。面会はもちろんのこと、外部からの差し入れや物品の持ち込みも禁止。通販もだめ。本当にスマホとiPadしか時間をつぶす術がありませんでした。

唯一の買い物は病院の売店。用意されているメニューのようなリストから、看護師さんへお願いし買ってきてもらい、代金は入院費と合わせて精算とのことでした。

部屋

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電動ベッドやテレビ(有料)、小物の収納はありました。一般的な病院と同じかと思います。洗面台は部屋に一つ。私は最大でも2人の相部屋だったので、特に会話することなく、顔を洗ったり歯を磨いたり、他の方が利用しなさそうなタイミングでさっと済ませていました。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

部屋の隅にはPHILIPSの巨大な空気清浄機が置かれていました。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

カーテンはあけてもよかったので、朝昼夜と外の景色を見て、早く退院できることを願い続けていました。人が外を歩いているだけで、自分とは全く別の世界にいるように感じられます。子どもたちの登下校や仕事帰りの人を見て、曜日感覚や時間間隔を保っていました。

入院食

まず主食は症状に合わせて私の意思で選択できました。お粥、そうめん、うどん、と段階的にあり(もちろん重湯とかもあるんでしょう)、その後通常の白米にしてもらいました。麺類は温かいのと冷たいのを選ばせてもらえたのも夏の入院では嬉しかったです。

ただ炭水化物過多じゃないかと思うほど、おかずの量が少なかったのはきつかったですね。元気になってきた後半は、どうしても量が少なく1.5倍程度は増やしてもらえるとのことでお願いしましたが、丼なみの白米とほんの少しのおかずといったバランスです。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

調色は基本的にパンと牛乳と、ほんの少しのなにか。この日はポテトサラダ。缶詰のフルーツのような日もあります。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

昼夜はおかずのついた食事です。写真はおかずが焼きうどん(笑)の日があって、炭水化物のコンボとは関西らしいなぁと感じつつ、病院としてこれっていいの?と思ってました。

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男性には十分とは言えない食事が多いのですが、仕方ありません。また味覚嗅覚が完全に感じなくなっていたので、満足感がない原因になっていると思いました。

簡単な紹介ですが、食事と入浴を楽しみに、朝の採血から日中は点滴をし続けるというのが入院生活のルーティーンでした。

新型コロナウイルス入院生活 後編

8月28日 入院4日目

入院から3日たち、熱がやっと安定してきます。37度前後。時々平熱に落ちることも出てきてますが、夜になると37.5度まであがったり安定しません。まだ食欲も完全に回復しておらず、朝から夕方までひたすら点滴です。とりあえず4時間、間隔をあければカロナールが服用できるので、様子をみつつやり過ごしていました。

3日ぐらいで点滴が入りにくくなり、針を変えました。点滴なんて子供の頃ぶりなので、知らなかったんですが、実際に体内に長時間のこっているのは、ふにゃふにゃの管なんですね。硬い針がはいっているとばっかり思ってたので、抜く瞬間、ぬるっと柔らかい管が出てきたときはびっくりしました。

8月29日 入院5日目

37.5度の熱、たまに吐き気がぶり返したり、熱が急に上がります。まだ基本的には点滴がたよりで、食事はやっと3分の1程度食べれるように。この日から、ほんの少し、味か匂いがわかるかどうかになりました。

朝食のパンを鼻につけるぐらい近づけてかすかに香りを感じる程度。味はジャムをつけてみると甘いような気はしますが、はっきりと味としてわかるものではなく、刺激として舌になにか伝わっているという感覚。

この日、部屋移動を告げられます。症状が安定したので、レッドゾーン出入り口から最も遠い部屋へ移動しました。先人が1人いる6人部屋か、まもなく退院する人がいる4人部屋どっちでもいいとのことだったので後者を選びました。

この日、全国的に感染者数はピークを迎える中(大阪で1500超)、病室は50%程度の空き状況でした。

先にいた男性は聞こえてきた会話によると2週間入院していたらしい。自分は熱も下がってきたし、退院ももうすぐだろうと勝手に期待していただけに、まさか自分もそれぐらいかかるのか!?と焦りました。

しかし、その心配は的中。ここから更に一週間も入院が必要になります。

8月30日 入院6日目

熱がしぶとく、まだ37.5度まででます。なかなか安定しないなぁと思っていた矢先、担当医から血液検査の結果がよくないと言われます。

順調に炎症を表す値が下がって、下げ止まっていたものがぶり返して上がりだしたと。確かに昨日、今日は発熱している体温以上にしんどい。明日まで様子をみて下がってこなければステロイドの投与を検討するとのことでした。

3歩進んで2歩下がるとはこのこと。入院期間が伸びることを覚悟しました。

闘病記|新型コロナに感染 入院生活13日間の様子

味覚嗅覚も変化なし、口から食べれるようになると味覚がないことの辛さを実感し始めます。夕食はシチュー(たぶん)でしたが、なんとなく旨味か甘味かを感じるものの、味としてはわからず、とろとろの液体を飲んでいる感覚です。ほんの少しずつ回復してくるものの、この辛さは後遺症として退院後も続くので、まだまだ始まりにすぎませんでした。

8月31日 入院7日目

この日も味覚はごく僅かな進歩です。朝食のパンを何度も意識的に嗅ぎながら食べました。鼻につけてかすかに感じる甘い香りにすがりつくような思いです。数値でいうなら体感では、普段の2%ぐらいという表現でしょうか。いつまで続くのか、戻らなかったらどうしよう。命に別状はないけど、楽しみが消える…本当に不安になりました。

前日にステロイド投与と聞いて、コロナのニュースや治療、体験談を今まで以上に調べ始めました。しかし飛び込んでくるのは増え続ける感染者数、誰もわからない後遺症、自分もここからさらに重症へ転落したらどうなるんだ…社会復帰できるのか…と恐怖に包まれます。

もしこの記事をご覧になってくださっているコロナ患者の方がいたら、見たところで、自分にとっての安心材料はなにもなかったので、退院できるぐらいに回復するまでは見ないほうが良かったです。

夕方、朝の血液検査の結果をもって担当医からステロイド投与をするとの説明がありました。炎症の値は上がっているので、私の体感よりも実際はしんどいはず、ずっとカロナールを飲んでいるので熱も上がりにくく、つらさを感じにくくなってるだけで、状態はよくないと言われました。

8月も最終日、ステロイド投与が始まり、9月に入ります。

9月1日 入院8日目

ステロイドの副作用として血糖値があがるため、食前の血糖値測定も始まりました。ただでさえ注射は嫌いなのに、指に針をさすなんて!と怖がっていましたが、看護師さんが苦手な私のために、針の刺す深さを浅く調整してくれ、思っていたよりも痛みは少なくて済みました。

もちろん血糖値が高ければインスリン注射も必要です。我慢できますが、決して楽しくはない時間が毎日追加されます。

また、血糖値が上がる影響で間食ができなくなります。このころから食欲ももどってきて、食事は間食できるようになってきて、もともと少ないため、おかずは増量してもらいました。つまり、お腹は空くけど間食は禁止なわけです。やっと食事がとれるようになったのに、次はむしろ食べられないことと戦わなければならなくなりました。

また入院から一週間がたったのでシーツ交換の日!すっきり!こういう些細なことが本当に嬉しく感じていました。

9月2日 入院9日目

ステロイド投与も3日目。担当医から効果が出始め、炎症が下がってきているとの説明がありました。10日間の投与計画だが、だいたい1週間程度で回復して退院していく人も多いとのこと。やっと希望の光が見えた瞬間でした。

この日からカロナールの服用を試験的に止めてみることに。やっと熱もあがらなくなり夜間も36度代をキープ。ステロイドのおかげか、やっと自力で平熱を保てるようになりました。

これは副作用ではあまり聞かないと言われましたが、私は断続的に足がすごく痒くなりつらかったです。かきむしらないように我慢していましたが、なかなか苦しいぐらいかゆい。体が回復しようともがいていたのかもしれません。

9月3日 入院10日目

朝まで平熱を保ち、吐き気もなく体調は安定。食事も間食できるようになっていました。食事がしっかりとれると、無意識にグルメ情報に目が行きます。まだまだ味も匂いもしませんが、退院の希望が持てたことで、あれもこれも食べてみたいという感情が湧くように。しかし、今はまだ自由に食べるものを選べずコンビニすら行けないため、つらい部分もありました。

夕方担当医から血液検査の結果がよくなってきたため、点滴を終了するとの説明が!やっと針が抜け、すこし腕が自由に!心電図と酸素飽和度をはかる指のケーブルは付いたままですが、ひとつずつ退院に近づいている実感がありました。

9月4日 入院11日目

体調も入院した頃に比べればかなり回復。看護師さんからも「そろそろ退院近そうですね!」といってもらえるようになりました。点滴もなくなりわずらわしいものが一つ減るだけでもかなり楽!

しかし、お腹が空いて空いてしかたがない。暇をつぶす電子書籍も映画を見ようにも集中できない。少しでいいので間食ができないかとお願いしてみると、ステロイド治療の副作用で上がりやすかった血糖値も安定しているので、OKとのこと。

が!この日は土曜日。唯一食料が手に入る売店がもう開いていない。翌日は日曜、開いていない。つまり月曜日の朝まで1日半我慢決定。本当にこの空腹はきつかったです。

また思い返すと、このころから頭がぼーっとして思考が鈍く、情報が頭に入ってこなくなります。あとあと会社の産業医面談では、ステロイド治療の副作用だと言われましたが、コロナ後遺症としてブレインフォグということばが出てきたころだったので、それかもしれません。

9月5日 入院12日目

点滴に続き、朝の採血も終了。これで痛い思いをしなくて済みます。退院の希望を伝えるものの日曜日で担当医がいないため、確約はされず。今か今かと、一日やり過ごしてました。

昨日からの空腹とのたたかい、スマホを開けば世の中の情報は食べ物で溢れています。元気になった証拠でもありました。

9月6日 入院13日目

昼を過ぎて正式に退院許可がでました。「もう一日ゆっくりしていってもいいよ」と声をかけられるも、早く出たくてしかたありません。退院が決まればバタバタと荷物をまとめ、退院手続き。ものの1時間ちょっとのできごとでした。

退院時の注意をいくつか。

持ってきた荷物は袋詰して持ち出し、家族など健康な人がいる場合は持ち帰っても72時間はあけないことを推奨。一人暮らしであれば、もともとレッドゾーンにいたわけなので開封して問題ない。

感染時にできた抗体は2ヶ月程度とされているため、焦る必要はないがワクチンが供給されるころには打つことを推奨。

肺炎が完治しているわけではない、帰宅後に悪化して再入院する人もまれにいるため、数日は毎日の検温、消毒、マスクなど予防を徹底し、体調の変化に気をつけること。もし何か異変があればすぐに病院へ連絡すること。

あとは処方された薬の説明ぐらいでした。

靴を消毒し、まとめた荷物をもって、お世話になった医師と看護師に見送られ裏口から外の世界へ。

約2週間の入院生活、コロナになってから3週間ぶりに自由を手に入れました。

9月6日 退院後

私は電車でひとりで帰ることにしました。

ひとりで歩けるか?迎えはないのか?と心配されていたとおり、駅までの道のりが、健康なときの3倍は遠く感じます。

まず、足が重い、おもりを背をって歩いているかのようにしんどい。全身の筋肉が弱っているため、自重を支えることも必死。足がガクガクとはこのこと。杖がほしくなりました。よろよろと小さな歩幅で足を前に出し、数十メートル歩いては止まりを繰り返しました。

季節が進み少し涼しくなり、風の音がして、街は人の声が聞こえました。3週間も隔離されていると新鮮です。

駅についてもエレベータが近くになく歩くのも大変なので階段に挑みました。地獄の山道のようです。駅のホームに着いたと思えば、近くにベンチがない。たった数分たったまま電車を待つ、それすらもしゃがみこみそうになります。ここで座ってしまったらきっと立てない…。そう思い近くの柱に持たれていました。

普段の倍以上の時間をかけ、なんとか帰宅。久しぶりの自宅はどことなく変な感じ。そして入院前にちらかした、そのまま。時が止まっていました。

9月7日 日常生活再開

掃除洗濯はもちろん、酸素吸入器の返却手配、不在票の対応など家のなかを動くにも、休み休みでないとできません。

また食料の買い出しに行こうにも連続して歩き回れないので、しっかり体を休めた後のタイミングで意を決して家をでて、30分もかからず帰ってきても、その後1時間以上横になっていました。

栄養を取ろうと野菜と肉を中心に食べていましたが、味も匂いもない食事は摂取。むしろものによっては変な味に感じて食べられないものもありました。

このあたりの味覚嗅覚障害などの後遺症は、また別の記事にするかもしれません。

リアルなまとめ

コロナの入院生活でした。完全隔離、味のしない食事、治療の様子など特殊な環境をお伝えできたかかと思います。1年のうち3週間を失いました。もっとつらい病気やケガはあるよ!なんて言われかねませんが、少なくはない日数だと思います。

かからないにこしたことはありません。この記事が健康な人への注意喚起となり、感染してしてしまった人への参考になりますように。

読んでくれてありがとう!ほかの記事も見てね!

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